|
2006年 10月 02日
「戦争のほんとうの恐さを知る 財界人の直言」(新日本出版社)を書かれた経済同友会終身幹事の品川正治さんが月曜インタビューで紹介されている次の一節だ。 ―8月15日に戦争は終わりますが、品川さんの部隊は11月まで武装解除されず、重慶政府の要請で八路軍とたたかっていました。映画「蟻の兵隊」と同じです。そのため日本に引き上げてきたのは1946年の5月でした。― 9月にアジアフォーカス福岡映画祭で映画「蟻の兵隊」を見た。 戦争が終わっても八路軍と戦い続けた部隊があったこと、そして戦後政府は一貫してそのことを否定し、未だに恩給も年金も貰えない事(A級戦犯でさえ貰っているのに)そしてその理由が「自分らで勝手に戦争をしていた」からという事(そう言わないとポツダム宣言に違反していたことになる) に驚いたばかりで同じ経験をした人がここにも居たからである。 あるこの映画は80歳の老人奥村さんの鬼気迫るドキュメンタリーである。 政府との裁判の為の調査の為に日本や中国を熱心に尋ね回る。 人を殺したことを語る奥村さんはこう語った。 「初年兵が人を殺せるまでになった最終試験が中国人の虐殺だった。」 片や赤旗の記事で右足に迫撃砲の破片が残っている品川さんはこう語っている。 「殺すべきじゃないと思っている人たちを殺さなくちゃならない。自分の倫理観からいっても、人間として許せないと思っているようなことをやらざるを得ない立場に追い込む、これが戦争の怖さです。戦闘の怖さ以上に」 歩哨に立ったとき、逃げだしてきた捕虜をこっそり逃がしたことも。 「逃がしたことがわかれば、重営倉行きで、陸軍刑法上最大の処罰をうけるわけです。軍隊に召集されてまもないころだったから、私自身の倫理観が優先したのだと思います」 お二人の物言いは凄く似ている。 戦争は普通のものでない。 そして戦争はそれぞれの家庭が引きずっている。 赤旗にはこういう珠玉の記事がたくさんあります。(ほめすぎ!?) web版ではほんの一部しか見れません。 全部の記事を読みポラリスと問題意識を共有したい人はこちらにメールを! jcpmetal@yahoogroups.jp 以下映画「蟻の兵隊」の紹介です。 上映館が少ないのでなかなか見れないかもしれませんが・・・ 今も体内に残る無数の砲弾の破片。それは“戦後も戦った日本兵”という苦い記憶を 奥村 和一 ( おくむら・ わいち ) (80)に突き付ける。 かつて奥村が所属した部隊は、第2次世界大戦後も中国に残留し、中国の内戦を戦った。しかし、長い抑留生活を経て帰国した彼らを待っていたのは逃亡兵の扱 いだった。世界の戦争史上類を見ないこの“売軍行為”を、日本政府は兵士たちが志願して勝手に戦争をつづけたと見なし黙殺したのだ。 「自分たちは、なぜ残留させられたのか?」真実を明らかにするために中国に向かった奥村に、心の中に閉じ込めてきたもう一つの記憶がよみがえる。終戦間近 の昭和20年、奥村は“初年兵教育”の名の下に罪のない中国人を刺殺するよう命じられていた。やがて奥村の執念が戦後60年を過ぎて驚くべき残留の真相と 戦争の実態を暴いていく。 これは、自身戦争の被害者でもあり加害者でもある奥村が、“日本軍山西省残留問題”の真相を解明しようと孤軍奮闘する姿を追った世界初のドキュメンタリーである。 日本軍山西省残留問題 終戦当時、中国の山西省にいた北支派遣軍第1軍の将兵 59000人のうち約2600人が、ポツダム宣言に違反して武装解除を受けることなく中国国民党系の軍閥に合流。戦後なお4年間共産党軍と戦い、約550人が戦死、700人以上が捕虜となった。元残留兵らは 、当時戦犯だった軍司令官が責任追及への恐れから軍閥と密約を交わし「祖国復興」を名目に残留を画策したと主張。一方、国は「自らの意志で残り、勝手に戦争を続けた」とみなし、元残留兵らが求める戦後補償を拒み続けてきた。 2005年、元残留兵らは軍人恩給の支給を求めて最高裁に上告した。 ******************* 明るい日本の未来の為に! 人気blogランキングへクリックを! *******************
by jcpmetal
| 2006-10-02 23:55
| 映画感想文
|
ファン申請 |
||